ブックタイトル2016読書の年輪 -研究と講義への案内-

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概要

2016読書の年輪 -研究と講義への案内-

野家啓一NOE, Keiichiドストエフスキー著罪と罰(1~3)亀山郁夫訳、光文社古典新訳文庫、1:2008年、2・3:2009年大学時代は夏休みなどを利用して、ぜひ内外の長編小説に挑戦してみてほしい。社会人になってしまえば、時間的にも心理的にも、長編小説に取り組もうという余裕はめったに訪れるものではない。私が最初に読んだ長編小説は、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』である。ベートーベンをモデルにしたと言われるこの大河小説の一節が、中学校の国語教科書の中に採録されていたのが呼び水となった。教科書と同じ豊島与志雄訳を手に入れて、ようやく読了したのは高校三年の夏休みだったと記憶する。ちょうどその頃、中央公論社から『世界の文学』という文学全集が刊行され始め、親にねだって揃えてもらったが、その第一回配本がドストエフスキーの『罪と罰』(池田健太郎訳)であった。簡単に言えば、主人公の大学生ラスコーリニコフが金貸しの老婆姉妹を殺して金を奪い、やがて娼婦ソーニャの純粋な魂に触れて回心し、自首してシベリアへ送られるまでの物語である。殺人事件を主題にしているという意味で、『罪と罰』は一種の倒叙型の推理小説としても読むことができる。予審判事ポルフィーリーとの対決など、ワクワクドキドキ感をぜひ味わってほしい。寺山修司著寺山修司全歌集講談社学術文庫、2011年「職業は寺山修司」と豪語した言葉の天才が亡くなって早や30年になる。私が学生時代を過ごした1960年代後半から70年代を通じて、寺山修司は短歌、俳句、現代詩、小説、評論、演劇、映画、作詞、競馬等々、行くところ可ならざるはなし、といった勢いの「時代のヒーロー」であった。数ある称号の中で、私が出会ったのは、歌人としての寺山修司である。高校二年の初夏、たしか国語の時間でのこと、隣りの席のK君が何やら熱心に教科書の下で隠し読んでいる。先生の目を盗んで回し読みしたその本こそ、後に映画にもなった寺山修司歌集『田園に死す』(本書に収録)であった。そこには国語教科書に出てくる短歌とは似ても似つかない異貌の世界が開かれていた。「間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子」「たった一つの嫁入道具の仏壇を義眼のうつるまで磨くなり」「かくれんぼ鬼のままにて老いたれば誰をさがしにくる村祭」これらの歌のもつ言葉の毒に圧倒され、私は授業が終わったのも気づかなかった。私にとっての詩歌開眼である。「花には香りを、本には毒を」。21