ブックタイトル2016読書の年輪 -研究と講義への案内-

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概要

2016読書の年輪 -研究と講義への案内-

Institute of Liberal Arts and Sciences,Tohoku University座小田豊ZAKOTA, Yutaka乱読と精読のすすめ―私の読書経験から座小田豊ZAKOTA, Yutaka総長特命教授、東北大学名誉教授、文学修士専門分野:哲学、近代哲学担基礎ゼミ:「『徒然草』の思想世界へ」当科基幹科目:「思想と倫理の世界:哲学の『始まり』と『始まり』の哲学」目哲学・倫理学:「『自由』への問い―『哲学すること』は『自己』の限界を知ることである」展開ゼミ:「『善の研究』を読む:哲学入門」研究室:国際交流棟2階206号室E-mail:zakota@m.tohoku.ac.jp『将来の学力は10歳までの「読書量」で決まる!』という本がよく売れているようだ。幼い子供を持つ世の親御さんたちの心をうまく突くタイトルの効果もあるのだろう。「数万部販売」という宣伝文句が踊っている。この本のタイトル通りだと私の学力は、ほとんど低レベルに留まっていることになりそうである。子供の頃、本を読んだという記憶はおよそ皆無である。小学生までは、野山を駆け巡って虫を採り、川や池に浸かっては魚を捕るという日々を送っていた。本を読むようになったのは中学二年生以降のことである。担任になったH先生が、私にだけ1年間に図書室の本を100冊以上読むようにと厳しく指図され、図書室の図書カードを時々チェックされたからである。手当たり次第に読み始め、少しずつ自分の興味関心の対象がはっきりしてきてからは、特に歴史書と小説に手を伸ばして読むようになった。内容の理解のことはさておき、たくさんの本を読むことを第一義にひたすら乱読したが、こうして、情報の少ない当時のこと、本を通して人間や世界の多様さ多彩さに眼を開かれることになったのである。高校生になっても乱読を続け、内外の様々な小説を渉猟し、読み浸っていたが、いくつかの出来事が重なって、ある時から、この時期誰もが直面する「人間とは何か」という問いに私も出会い、精読しなければ理解できない思想書を読み齧るようになった。この問いに煩悶するなかで、理系から文系へと志望が変わり、その行きつく先に以降の人生の進路を決定づける哲学があったことになる。大学で哲学を専攻してからは、先生方から徹底的に精読の作法を叩き込まれた。哲学者たちが何をどのように考えているのか、その意味を考えながら、一字一句も疎かにせずに原書を読み解いていく演習での作業が、同時に自分の思考力を鍛えることにもつながる。教員になってからは、時として自分勝手な解釈に流れてしまう受講生に、諸先生方にならって手ほどきをし、テキストに学んで考えることを説き続けてきた。テキストを正確に読みとることが、直ちに自分で考えることになる―これが精読の本義である。とはいえ、私自身は乱読も継続してきた。専門の哲学関係の書物はもちろん、現代の小説、日本の古典文学や内外の詩集、ファンタジー小説、あるいはエッセイ集等々、興味と関心の赴くままに手に取り、乱読を重ねている。新しい楽しみと喜びが得られるとも思うからである。乱読と精読、いずれにせよ自分の思考空間・思考力を広げ涵養するのに読書ほど役立つものはないだろう。「六十の手習い」と言われるほどなのだから、二十代の君たちが始めるのに遅いということのあろうはずもない。6