ブックタイトル2016読書の年輪 -研究と講義への案内-

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概要

2016読書の年輪 -研究と講義への案内-

座小田豊ZAKOTA, Yutaka高橋英夫著西行岩波新書、1993年「願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ」―あまりにも有名な、西行が往生を願ったときに読んだ歌である。西行入滅後のちょうど五百年目に、芭蕉が故人を偲んであの「おくの細道」の旅に出立したことも良く知られている。この一事からしても西行が日本人にとってどれほど重大な人物であるかは推して知れる。ドイツ文学の研究から出発した著者は西行の生きざまに心服し、小著ながら、西行の生い立ちや出家のいきさつ、出家後から入滅までの「略伝」を押さえたうえで、その全体像と核心を描き出す。「桜に生き、桜に死す」西行、「人生は旅・旅は人生の原型」西行、「同質性を希求」し、「切に友を求めるがゆえに孤独をひしひしと感じとる」両義的西行。著者はこうした西行に、事柄を見る「眼」とそれを受け止める「心」を切り拓いた「隠者」を認め、西行の旅は、「心」という「もう一つの圏域」に入り込み、「心が心を見つめる極端な自己集中」の旅であったと読解する。西行は、「無」と「浄土」、「仏道と歌道」の一致を追究し続けた歌人であり、冒頭の歌の「情景の底には、荘厳された死」があるのであって、「死は咲き匂う桜花、無と美とは一致する」と断じる。日本文学の受け止め方を教えてくれる一書である。ブルーノ・スネル著精神の発見―ギリシア人におけるヨーロッパ的思考の発生に関する研究―新井靖一訳、創文社、2003年(1974年一刷)大学院生のころ哲学研究室で必読書と言われる書物が何冊かあった。これはそのうちの一冊。先生方はもちろん先輩たちもこぞって推奨していた。大部の本で、読むのに相当な苦労をした。当時線を引いた箇所がそのまま残っていて、どこに惹かれていたかが良く分かる。「文化史」の本質的な意義を教えてくれた書物である。古典文献学者である著者の迸るような筆力に、ヨーロッパの学者の驚異的な力量を思い知らされる。のみならず、「文化」や「哲学」が文化的伝統を継承する並々ならぬ苦闘の賜物であることが納得される。表題にあるように、「精神」は一朝一夕に見出されたものではない。古代ギリシアのホメロスの神話や、初期の哲学者たちやアテナイの哲学者たちの長い営為を通してはじめて「発見され」獲得されてきた「概念」なのである。それはまた、単に歴史的な出来事と言うにとどまらず、私たち一人びとりの魂の営みとしても受け取られなければならないのだと著者は言う。「精神」を、単なる言葉としてではなく、自分のものとして生み出していなければ、それが何であるかを語ることはできないからである。ことば、そして概念の持つ力は、歴史的文脈のなかでの理解を通して、私たち自らが生み出すほかはないのだと教えてくれる書である。9